研究紹介
2025.10.14
薬学部 教授
関 健二郎
【研究の背景と目的】
恐怖体験は突然起こることが多く、状況の文脈情報を処理する時間がほとんどないため、中立的な環境で歪んだ記憶や誤った恐怖記憶が形成されることがあります。私たちは、こうした誤った恐怖記憶がトラウマ記憶の汎化の素過程になっているという独自の仮説を立てました。さらに、恐怖条件付け後に類似するが異なる環境に早期に曝露されると、誤った恐怖記憶が形成される一方で、本来の記憶の正確性が低下することも示しています。本研究では、海馬における糖質コルチコイド受容体(GR)と鉱質コルチコイド受容体(MR)の役割に着目し、誤った恐怖記憶の形成と強化にどのように関わるかを明らかにすることに挑戦しました。将来的には、ストレス関連シグナルがトラウマ記憶の汎化にどのように関与するかを理解することを目指しています。
【主な成果と意義】
本研究では、マウスを用いて誤った恐怖記憶がどのように形成され、時間とともに強化されるかを明らかにしました。恐怖体験後に恐怖体験時と類似しているが異なる新規環境に数時間以内に曝露されたマウスは、その新規環境において恐怖反応を示し、誤った恐怖記憶が形成されることが確認されました。さらに、この誤った恐怖記憶は時間の経過とともに強化され、本来の恐怖記憶の正確性が低下しました。また、恐怖体験直後のグルココルチコイド受容体(GR)の活性化が誤った恐怖記憶の形成を促進し、ミネラルコルチコイド受容体(MR)の不活化が誤った記憶の強化に関与することが示されました。これらの知見は、海馬のGRとMRが正確な記憶と誤った記憶のバランスを時間依存的に制御していることを示しています。また、恐怖学習後すぐに類似環境に曝露されると、最初の記憶に新しい要素が組み込まれ、時間依存的に誤った記憶が強化され、元の記憶の特異性が低下することも明らかになりました。この時間依存的な変化は、誤った記憶の強化が徐々に進行することを示しており、トラウマ記憶の汎化の理解に重要な示唆を与え、PTSDなどの疾患における将来の治療戦略の開発に繋がる結果であると考えています。
【今後の展開や展望】
今後は、特定の脳領域における記憶エングラム解析を通じて、文脈情報の統合や分離に関与する神経回路や細胞集団(セルアセンブリ)を明らかにし、記憶の固定・不安定化・再固定といったプロセスが誤った恐怖記憶の形成に関与しているか否かを検討することでトラウマ記憶の汎化を防ぐ治療戦略の開発に結びつけることを目指します。将来的には、この知見を基に、PTSDや不安障害などの患者におけるトラウマ記憶の汎化を未然に防ぐ治療法を新たに提案することを目指します。また、神経回路形成や記憶プロセスを担うセルアセンブリの時空間的な機能解析を進めることで、誤った恐怖記憶の形成メカニズムの詳細な理解がさらに深まることが期待されます。
【論文情報】
Time-dependent Potentiation of False Context Fear Memory through Glucocorticoid Receptor Activation and Mineralocorticoid Receptor Inactivation, Journal of Integrative Neuroscience. 2025, 2025 Sep 28;24(9):40000